当山は、開山以来、森家の菩提寺として純粋に森一族によって近年まで護られて参りました。明治7年12月には、当時の住職第31世本心院日静上人(大本山小湊誕生寺巡歴)により、境内に金目郵便取扱所が開設されました。また、明治19年には神奈川県による公立中学校開校よりも実に10年以上も早く、現在の秦野高校・平塚農業高校の前身となる私立育英学校の「三郡共立学校」(三郡:大住・淘綾・足柄郡)を開校し、青少年の教育と育成に大きく貢献しました。
このように宗信寺は地域の発展と向上に欠くことのできない重責を担って参りましたが、後年、火災による本堂等の焼失、また、廃仏毀釈、農地解放などの政治的影響を大きく受け、本格的な復興もままならぬまま近年に至っておりました。
平成2年3月、現住職第36世、岡貞潤上人の法燈継承を期に当時20件に満たない森一族の檀信徒が異体同心となって“宗信寺再建”の大悲願を掲げ、平成5年には新本堂を建立し、その後も墓地拡張工事、墓地区画整理、境内整備、永代供養墓「隨縁廟」建立など着実に寺の復興を行うと同時に、森一族以外の多くの檀信徒を迎え入れ、“敷居のない寺”としてどなたにも気兼ねなくお立ち寄り頂ける拠り所となって現在に至っています。