宗信寺かわら版

ここは宗信寺からのご連絡やご報告、また、お寺とご縁ある方々にご登場いただく情報コーナーです。

コーナー
宗信寺の檀家さんや信者さんをご紹介させて頂きます。



七面山登詣
七面山登詣  七面山登詣

11月22〜23日、1泊2日の日程で七面山登詣修行が行われました。
今年は諸事情により、日程が若干変更されたため、参加者は例年よりは少人数でしたが、信徒有志の皆様ととても有意義な御修行をさせて頂くことができました。

恒例になりましたお萬様の滝での水行ですが、今年は今までにないほどの水量で、その厳しさは私自身も今までで一番の経験でした。このところの厳しい世相を生きていく上で、何か心に気合を入れて頂いたような経験が出来ました。
ご参加された皆様、本当にお疲れ様でした。

御会式

10月13日、宗祖日蓮大聖人の第728回御会式法要が営まれました。
今回の御会式も例年通り、多くの檀信徒の皆様御参詣のもと、おごそかに営まれました。
日蓮大聖人は弘安5(1282)年9月8日、弟子や信徒の勧めで、健康状態が悪化していたお体の療養のため身延山から常陸の温泉に向かわれました。しかし、武州池上(現大田区池上)の池上宗仲の館に到着されたころには、道中の疲労も加わりその容態は更に悪化してしまいました。
ご自身の死期が近い事を悟られた大聖人は、9年間を過ごされた身延山に墓所を定められました。そして9月25日には各地より集まった弟子や信徒たちに最後の講義『立正安国論』を講じられました。
10月8日には日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の6人を本弟子六老僧と定め、更に11日には経一丸(後の日像)に帝都開教を命じ、滅後の諸事を門下に遺言されました。
こうして10月13日の辰の刻(午前8時頃)弟子や信徒の南無妙法蓮華経の御題目の唱題の声に包まれながら、61年間の尊い御生涯を静かにそして穏やかに閉じられたのです。

東京隨縁会 七面山登詣ご案内
合掌
秋冷の候、皆様におかれましては日々御健勝にてご活躍の段、心よりお慶び申し上げます。早速ですが、本年も下記の日程にて七面山登詣修行実施の運びとなりました。ご家族は無論、お知り合いの方などより多くの皆様とお山での貴重な修行体験が出来ればと存じます。皆様お誘い合せの上ご参加頂き、晩秋のお山を満喫いたしましょう。

●日時

平成21年11月22日(日)〜23日(月・勤労感謝の日)/ 1泊2日

●日程

1日目
午前 7:00JR東京駅丸の内北口出口集合
※チャーターバスで中央道経由、山梨県早川町七面山登山口に直行
午前 11:00登山口「ひのや」到着、現地集合参加者合流
※《ひのや :電話・・0556-45-2148》
午前 11:30登詣開始・裏参道(途中、休憩所にて昼食)
午後 5:00七面山奥之院到着・入浴・夕食・御開帳・夕勤(奥之院にて1泊)
※《奥之院 :電話・・0556-45-2125》
2日目
午前 5:30起床・御来光参拝・朝勤・朝食
午前 7:00下山開始・表参道
午後 0:00下山終了・希望者は御萬の滝での水行・ひのや到着
午後 1:00下部温泉到着・下部ホテルにて入浴、昼食
※《下部ホテル :電話・・0556-36-0311》
午後 3:00下部温泉出発(現地集合参加者は解散)
午後 8:00東京駅到着、解散

●参加費

29.000円 ※現地集合の場合は18.000円(小学生以下は各8千円引き)
※初日昼食から2日目昼食までの食事・宿泊代・参拝費用等を含む。

●その他

登山の際は動き易い服装、履き慣れた運動靴、雨具、手袋など各自御用意下さい。
山頂は朝晩冷えるので、防寒用衣類があると便利です。
着替えは2回分、登山時には荷物は必要最少限にし、リュックサック等にてお持ち下さい。あらかじめ、ふもとのひのやに預ける荷物と分けておくと便利です。御位牌をご持参されてのご供養も可能です。

なお、出発当日の緊急連絡は住職携帯090-3225-0037までご連絡下さい。
その他ご不明な点がありましたら遠慮なくお問い合わせ下さい。

●御出欠の有無を11月10日までに下記までご連絡下さい。

宗信寺      電話:0463-59-7235  ファックス:0463-59-4556
東京布教所   電話:03-5790-2785  ファックス:03-5790-2786
メールアドレス  myoho@soushinji.com

宗信寺 東京隨縁会 主宰 岡 貞潤

秋季彼岸会

9月23日のお中日を挟み、20日〜26日は秋のお彼岸でした。この日にちだけ見ますと今年は“お彼岸”というよりも、“シルバーウィーク”の印象が強いですね。天候にも恵まれましたのでお墓参りにもレジャーにも気持ちよくお出かけになれたのではないでしょうか。
ただし、高速道路の渋滞は全国的にゴールデンウィークをしのぐほどのひどさだったようですね。実際に私自身もいつもなら2時間ほどで移動できる距離が4時間もかかってしまました。そして更に上手の方もいらっしゃいました。お彼岸の入りの20日、東京都大田区の自宅から宗信寺までなんと3時間!帰り道でも3時間!!往復6時間もかかってしまったお檀家様もいらしたとのことです。本当にお疲れ様でした。

戦没者慰霊
戦没者慰霊   戦没者慰霊
   「海を見下ろす丘の上から読経」          「この海のかなたから日本軍の侵攻が始まった」

8月28日より戦没者慰霊のため、インドネシアに行ってきました。
今回は太平洋戦争勃発後、約2カ月後の1942年2月9日、日本軍の第二南方派遣艦隊第23根拠地隊が島の南東部にあるサヌール海岸から上陸、侵攻して以来約3年間日本の占領下におかれたバリ島を中心に慰霊を執り行いました。占領下にあったこの地域では日本軍による過酷な強制労働による日本への反感もありました。しかし、今ではそうした意識の名残を感じることは一切ありません。これはひとえにインドネシアの方々の信心深さ、平和を愛する優しい国民性によるところが大きいのではないかと思います。インドネシアは、主島のジャワ島には世界最大の仏教遺跡であるブロボドールがあるなど、歴史的に我々日本人とも深いつながりのある国の一つです。現在のインドネシアでは仏教・ヒンドゥー教・イスラム教・キリスト教などが信仰の対象とされている地域です。しかしながら、毎日何度も屋敷内やありとあらゆるところにお線香やお花供物を供え、神仏に合掌して祈りを捧げるその姿は、我々日本人のルーツではと感じざるを得ません。
この地域は、戦前は長い間オランダの植民地にされ、その後、終戦までは日本の占領下に置かれていました。そして終戦後、ようやくインドネシアとして独立して、今日に至っています。バリ島は現在では、世界屈指のリゾート地としてその名をはせています。今、そんなバリ島を訪れる観光客の多くは日本人だそうです。欧米からもたくさんの観光客が来るそうですが、やはり日本人の比ではないようです。
過去の悲しい歴史があっても今なお温かく我々日本人を迎えてくださるインドネシアの皆様に心より感謝申し上げます。
なお、この度の戦没者慰霊に際しまして、貴重な浄財をお寄せくださいました小川様・福島様・安月様・植田様、誠にありがとうござしました。心より感謝申し上げます。

施餓鬼法要
施餓鬼法要

8月23日、宗信寺本堂で施餓鬼法要が営まれました。今年も残暑の中、遠近各地より本堂がいっぱいになるほどの檀信徒の皆様の御参詣を頂き、おごそかに営まれました。
法要後の法話の冒頭、太平洋戦争で戦死されましたある日本兵の方が、最愛の家族に宛てて綴られた「遺書」を拝読させていただきました。明日で自らの命が終焉を迎えるという究極の精神状態の中で、その「遺書」の内容は最初から最後までがたくさんの思いやりで溢れたものでした。年老いた両親へ、若き妻へ、幼きわが子へ、そして生まれ育った愛する故郷へ・・・。その一文字一文字が大変重みのある「遺書」を読みながら、涙を抑えることなど到底できませんでした。
第二次世界大戦で亡くなられた日本人の数は、軍民合わせますとおよそ310万人といわれています。そうした多くの方々の大きな犠牲の上に、今の日本の生活、そして我々の日々があることは、決して現代に生きる私たちが忘れてはならないことです。そして戦時中とは比べものにならないくらいの幸せな毎日を感謝することも・・・。
施餓鬼法要では、こうした今の日本の礎を築いてくださった戦没者すべての皆様の御供養もさせていただきました。感謝は“し過ぎる”ということはありません。そして思いやりもまたしかりです。命ある限り心掛けていきたい大切なテーマです。

ふじみ園合同法要

8月6日平塚市四之宮にある救護施設ふじみ園でお盆の合同法要が営まれました。
この法要ではふじみ園の職員の方々、在園者の方々ご参列のもと、ふじみ園開園以来お亡くなりになられた方々、本年度お亡くなりになり新盆を迎えた方々、さらには職員在園者すべての方々のご先祖代々の諸霊位の供養が行われました。

境内清掃

8月1日の土曜日、早朝から恒例の境内掃除が宗信寺檀信徒有志の皆さんによって行われました。
この時期にしては今年は涼しく、おかげで作業も順調に昨年より短時間で終了することができました。勤労奉仕くださいました皆さん、本当にお疲れ様でした。
ところで、境内を掃除していますと、面白いことに気付きます。それは年によっては、墓地のお線香を供える香炉の中や石灯篭の中などに蜂が巣を作っている年があるということです。実はこれには大変興味深い理由があるそうです。その理由とは気象にあります。具体的に申し上げますと、台風や大雨が多い年にはこうした比較的安全なところに蜂が巣を作るのだそうです。強い風雨からその身や巣を守る当に大いなる自然の知恵なのです。我々人間は、気象衛星やコンピューターを駆使しても数カ月先の天気の予測は容易なことではありません。ところが蜂はその年の天気を察知して種の保存のためこうした行動をとるのです。当に自然の神秘です。

白菊会合同慰霊法要

7月10日、東邦大学医学部第一解剖室におきまして、本年度の献体者の方々の合同慰霊法要が営まれました。今年は約45名の方々の御供養を営みました。教授先生を始め、解剖の授業に携わる先生方ご臨席のもと、厳粛に営まれました。
今、日本は年々“自分勝手”な国になっているように思えてなりません。「自分さえよければ・・・」「我先に・・・」といった冷静に考えると、人として恥ずかしくもあるこうした行為がありとあらゆるところで日常的に行われています。
皆さん、一度落ち着いて自分の胸に手を当てて日ごろのご自信を冷静に振り返って見てください。もしかすると、時勢に流された部分に気づかされるところがあるかもしれませんね。
“白菊会”は献体者の皆様の会です。生前、登録をされ亡きあとにはそのお体を医療発展のために提供されるのです。本当に頭が下がります。これも大きな思いやりの心あってのおふるまいにほかなりません。身近な良いお手本を無駄にすることなく、少しでも他を思いやり自らを人のために役立てる努力を心掛けていきたいものです。

立教開宗

4月28日は日蓮聖人が日蓮宗を開かれた日です。この日を「立教開宗:りっきょうかいしゅう」といいます。実際に開かれたのは建長5年(西暦1253年)ですから、今年で756回目の立教開宗の日を迎えたことになります。ちなみに日蓮聖人御年32歳の時のことです。
宗信寺の境内に建立されております日蓮聖人の銅像はこの立教開宗をされた時のお姿そのものです。「我、日本の柱とならん、我、日本の眼目とならん、我、日本の大船とならん」という“三大誓願”を誓われたのも当にこの時です。
日蓮聖人はこの日を境にお名前を「是聖房蓮長」から「日蓮」に改められました。こんなところにも日蓮聖人の並々ならぬ強い意志を肌で感じることができますね。
また、4月28日は宗信寺のホームページ開設1周年でした。これからも皆さんのご意見を取り入れながらよりお役に立つホームページの運営を心掛けていきたいと思います。

釈尊降誕会

4月8日は仏教の開祖、お釈迦様のお誕生日です。お生まれになった年は文献などによっておよそ200年ほどの開きがあるのですが、紀元前463〜383年頃お生まれになられたという説が一般的です。
皆さんは「お釈迦様はどこで生まれたでしょう?」と問われればきっと“インド”とお答えになるでしょう。しかし、実は生まれたのは現在のインド領ではなく、ネパール連邦共和国のルンビニーという地域が御生誕地です。全国のいろんなところにお寺が営んでいる幼稚園で“ルンビニー幼稚園”という名前を見かけるのもこうした事実に由来しています。「寅さん」で有名な柴又の帝釈天さんの境内にも“ルンビニー幼稚園があります。わたくし事ですが、下町で生まれた私は、兄が通うこのルンビニー幼稚園で兄が過ごしている間、よく帝釈天さんの境内で遊んでいました。おぼろげではありますが、楽しかったという記憶があります。お釈迦様がお生まれになられたルンビニー、その名前にも小さな命を育む何か不思議な力があるのかも知れませんね。

戦没者慰霊

今年はフィリピン方面に戦没者慰霊に行ってきました。本当はミンダナオ・レイテ方面に向かいたかったのですが、現実問題として今フィリピンではイスラム系武装集団によるテロが頻繁に起こっているため、首都マニラから安全なセブ島に向かい、そこからの慰霊となりました。現在、この地域は時々外国人誘拐事件が起きていますが、比較的安全な地域ということで、リゾートとしての開発も進み、たった60数年前には戦闘が繰り返されていたとはとても思えません。抜けるような空と白い雲、真っ青な海を見ていると逆に「こんな平和な地でどうして・・・」と切なさが込み上げてきます。きっと、この光景は戦時中はるかかなたの日本から出兵してきた日本兵の人たちもご覧になったことでしょう。当時の方々ももしかすると同じような切なさを感じていらしたかも知れません。平和な平成の時代に生きられることを感謝しつつ、戦争で尊い命を亡くされた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

春季彼岸会

3月17日から23日までの1週間は、春のお彼岸でした。この間、宗信寺はいつも以上のお墓参りの方々でそれはそれは賑やかでした。おじいちゃんもおばあちゃんも、小さなお孫さんたちも、老若男女を問わず、本当に賑やかでした。
皆さんは御先祖のお墓参りに行かれましたか?近くにお墓がある方、遠方にある方、様々だと思いますが、こうした仏事の時期にはいつも以上に今は亡き家族や御先祖様に気持ちが向く時ですね。
御先祖様には素直な心で日ごろの感謝を伝えたいものです。
皆さんはお墓にお参りした時、どんなことをされますか?お墓を掃除してお水やお供物を供え、お線香を供える。そして近況報告をしたり、いろんなお願いをされる場合もあることでしょう。
亡き御家族、そして御先祖様はきっと生ある我々に対して、穏やかではつらつとした日常を私たちが送ることを望まれていることでしょう。ならばその御期待に答えることは我々生ある者のつとめでもあり、仏様に対しては毎日できる供養にもなるのです。こうした形の御供養が毎日重ねられていくことは我々の充実した生活にもつながっていくのです。当に一石二鳥ですね。

全国行脚

今年も3月1日〜13日までの平日を利用して、西から福岡・大阪・京都・名古屋・東京そして仙台と全国の約20校ほどの専門学校にお邪魔して、各校教職員学生の皆様の繁栄と、各校の発展を願って御祈祷、そして法話をさせていただきました。
昨年のリーマンショック以来、こうした教育の現場にも大きな影響が及んでいるのですが、そんな中、各校の皆様は強いチームワークと前向きな姿勢をもって業務に励んでいらっしゃいました。この全国行脚はもう今年で4年目を迎え、各校の皆様とも顔なじみになり、お会いすることがひとつの楽しみになっています。また次回お会いできるまでに皆様の目標が成就していることを心よりお祈り申し上げます。

節分・立春を迎えて

明治時代以降、現代にいたるまで日本のカレンダーは新暦となり、欧米化されました。グローバルな視点でいうならば、当然の時代の流れに沿った変化です。しかしながら、いわゆる“旧暦”の文化、生活様式も日本には まだまだ残っています。
節分は現代的な表現でいうならば、大晦日、立春は元旦に当たります。ですから、旧暦の時代に成立した十二支や九星の運気なども本来はこの節分と立春が節目となるわけです。たとえば、今年は丑年ですが、今年の1月生まれのお子さんの干支は前年と同じ『子年』となります。

ところで、日頃はあまり深く意識しないこの十二支ですが、少し踏み込んでみていくと実はなかなか興味深く、奥深い知恵が込められているのです。
昨年の干支、「子年」で振り返ってみましょう。ねずみ年ですから、本来は「鼠年」と書くはずですが、「子」の字を用います。
実はここにその年の傾向を知るヒントがあるのです。「子」の字は「一」と「了」という二文字に分けられます。「一」は始まり、「了」は終りの意味、つまり子の干支の年は、物事の大きな始まりや終りが多く 起こる傾向の強い年となるわけです。実際、たとえば政治というテーマに絞って、日本の歴史を振り返ってみましても、吉田茂、佐藤栄作、田中角栄、橋本龍太郎をはじめ、記憶に残る総理大臣の就任や退陣はこの「子年」に行われていることがとても多いんです。そういえば、昨年9月には福田元総理も突如退陣されましたが・・・。
世界に目を向けてみましても、リーマンショックを発端に、今や世界中が金融・経済不安となり、出口の見えない真っ暗なトンネルに差し掛かったという感が否めませんが、これもアメリカ型の大量生産・大量消費型経済構造の終焉、そして地球環境をも視野に入れた新たな時代、経済感覚の始まりを迎えたということができるでしょう。また、アメリカでは建国以来、初の黒人大統領たなったオバマ氏が次期大統領に選出された年にもなりました。昨年は皆様の身の回りでも例年にも増して、始まりと終わりといった出来事が多くあった年だったのではないでしょうか。

さて、こう話を続けてくると“じゃあ、今年はどうなんだ?”ということになりますよね!
それではここからは、先師たちの残した知恵を使って、今年の世相を予測してみましょう。
まず、本年2009年、平成21年は九星では「九紫火星」、十干では「己:つちのと」、十二支では「丑年」の年となります。それぞれの暗示することをあげ、関連付けていくとその年の傾向が見えてきます。最初に「九紫火星」ですが、この星は、政治・裁判・警察・学校・保険・火災などの意味を持ちます。次に「己」はあいまい・不明瞭・困窮などの意味があります。そして、干支の「丑」は、わかれ・ほどき・不安などの意味を持ちます。こうした要素を時代にあてはめてみると・・・。
たとえば、今年日本では裁判員制度が始まります。上に挙げた「裁判」・「不明瞭」・「不安」のキーワードを結びつけると、裁判の現場で裁判員の方々が予想以上に困惑され、期待されているような結果がなかなか得られず社会問題となることが予想されます。また、今年は日本においては麻生政権が、景気対策を講じてくるでしょうが、なかなかはっきりとした成果が得られず、不安が募ることも予想されます。また、アメリカでもオバマ大統領が、こちらは全世界規模の期待を背負って“グリーンニューディール政策”をはじめとし、様々な景気経済対策の大ナタを振るうことでしょうが、こちらも残念ながら、そう簡単には事態の改善に至らないことが予想されます。
さらには「火災」という暗示もありますが、今年は国内においては火災が原因で亡くなる方が例年より早いペースで増加の傾向にあります。“トトロの住む家”は全焼し、オーストラリアでは、始まって以来の規模での森林火災があり、中国では旧正月のお祝いの真っただ中に国営放送の新社屋が火災に見舞われるなど、私たちの印象に残る火事・火災がすでに起こっています。

ここまで申し上げると、「お先真っ暗・・・・」的な気分になってしまいますね。実際、今年は季節で例えると凍てつく極寒の真冬、静か動かと問われれば間違いなく“静”なわけです。そういう印象を持たれても仕方ありません。でも、皆さん、ここで私たちが忘れてはならないのは“明けない冬はない!”ということです。どんなに厳しい冬も、やがては必ず雪解けの季節を迎えるのです。
それに私たちは寒い季節は寒いなりの過ごし方を心得ているではありませんか。真冬なのに季節を間違えて海に飛び込んだら、風邪をひいてしまいます。だから、海水浴には行きません。どうしても泳ぎたければ、温水プールという手段がありますし、冬だからこそできるスキーやスケート、スノーボードでスポーツを楽しむこともできます。“雪見酒”なんていうおつな楽しみ方もありますよね。要するに時代の季節を知るということは、とても大切なことなのです。季節は移り変わっていくのですから、当然、先の予測もできますし、目標だって立てられるわけです。目標ができれば、そこから今自分が何をすべきか?ということさえ見えてきます。冬は2度繰り返してやってくることはないのです!
景気低迷、雇用不安、政治不信などがニュースや新聞を皮肉にも毎日独占しています。こんな時代だとどうしても意気消沈、マイナス思考、やる気も出ませんよね。でも、こうした時こそ、日頃、とかく疎かになりがちな“本質”に目を向けてみることも大切です。家族、夫婦、親子のあり方、自らの人生に対する姿勢などなど・・・。コタツにあたりながら、こんなことをゆっくりと考えてみるのもこの時期にふさわしい過ごし方かも知れませんね。私もしばし、自分を見つめ直してみたいと思います。

追伸:皆さん、花粉症対策はいかがですか?
    今年は例年より1ヶ月程早く花粉の大量飛散が始まっています。
    去年まで何ともなった人も油断大敵!
帰宅後は、手洗い・うがいは当然のこと、目の周りや鼻孔を洗うことも予防効果があるそうです。私も実践しています。

新春初祈祷会

1月11日(日)、午前9時より宗信寺の新年初めの年中行事であります
新春初祈祷会が行われました。朝早くから、遠方の方々も含めまして
今年も100人以上の皆様がお参りになられました。今年は総代役員さんによりまし、甘酒がふるまわれ、寒さの中、暖を取られました。
皆様の本年の目標や願いが成就出来ます事を心よりご祈念申し上げます。

平成21年正月元旦

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
宗信寺の年明けは、今年も例年通り元旦零時の水行から始まりました。
当日は大変冷え込みまして、水を張った樽やスノコの水が凍るほどでしたが、
気持ちも新たに水行に臨みました。
寒さの中、御参詣下さいましたご近所の檀信徒の皆様、本当に御苦労さまでした。
初日の出も素晴らしいものでした。穏やかな1年になってほしいものです。