宗信寺かわら版

ここは宗信寺からのご連絡やご報告、また、お寺とご縁ある方々にご登場いただく情報コーナーです。

コーナー
宗信寺の檀家さんや信者さんをご紹介させて頂きます。



七面山登詣
七面山登詣  七面山登詣

11月6日から7日にかけて、恒例の檀信徒有志による七面山登詣が行われました。今年は8名で奥之院に参籠しました。
この時期は関東地方は紅葉真っ盛りで毎年往復の高速道路は大渋滞に見舞われるのですが、今年は割と行きも帰りも想定内の渋滞で助かりました。また、両日ともとても気持ち良い秋晴れに恵まれ、7日の朝の御来光も素晴らしいものでした。
御萬様の滝では、男性の参加者全員で水行を行いました。体を刺すような厳しい水を全身に浴び、当に俗世の垢を落として身も心も洗われる思いでした。

御会式(おえしき)

10月13日、日蓮宗の開祖である日蓮大聖人の第729回御会式法要が本堂にて営まれました。穏やかな秋の日差しの中、檀信徒の皆様と共に尊い教えを今に残して下さった日蓮大聖人に対し、報恩感謝の気持ちをお伝えすべく、おごそかに行われました。

境内にはこの時期、自然発生したコスモスが満開を迎えます。このところの気候の変化で年々春と秋が昔に比べ短くなってきた昨今ですが、秋らしさを満喫出来た1日でもありました。
この御会式の目的は、日蓮大聖人への供養のためと思われがちなのですが、供養というよりはむしろ感謝をする機会がこの御会式です。『南無妙法蓮華経』という御題目を初めてお唱えになり、お釈迦様の金言である『法華経』に基づく多くの教えを広め伝えて下さった日蓮大聖人を偲び、感謝申し上げるのがこの御会式の主たる目的なのです。
ところで“感謝”という事をあらためて振り返ってみると、私たちは日常生活において、意外と本来感謝の意を伝えるべき人に対し、素直にその気持ちを伝えられていないことに気づきます。親であったり、夫婦であれば、お互いに、また、日頃お世話になっている人に対して・・・。
更に身近であればあるほど、その傾向は強まるという点も多くの人に共通していることではないでしょうか。もっとも感謝をされて嫌な思いをする方はほとんどいらっしゃらないでしょう。という事は私たちが日頃その気持ちをなかなか伝えられない方々に感謝の気持ちを伝えることで、その方に喜んでもらう事も叶い、伝える側の私たち自身の心もきっとすっきりするでしょう。当に“一石二鳥”ですね。ですから、感謝の気持ちをあえて伝えない理由などそうそう存在するものではありません。

皆さん、感謝すべき人にその気持ちをきちんと伝えていますか?

秋季彼岸会

9月23日の秋分の日をお中日とし、前後3日間ずつの計7日間が秋のお彼岸です。
この時期は宗信寺のお墓はいつも以上に多くのお参りの方々でにぎわいます。そして色とりどりの御花が供えられて、本当にきれいです。お参りに来た皆様もみな、「きれいだし、明るくていいですね。」喜んでくださいます。
皆さんは“お墓”と聞くとどんなイメージを抱かれるでしょうか?人によっては「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるような何か気味の悪いという印象を持っている方もいるでしょう。しかし、よくよく考えてみますと少なくともお寺のお墓は成仏された仏様の御遺骨が埋葬されているわけですから、むしろ、私たちの気持ちの安らぐ場所なのだと思います。皆さん、御先祖様のお墓参りに行っていますか?今こうして生活できているのも、御先祖様がいらっしゃればこそです。
時間を見つけて可能な時には積極的にお墓参りを致しましょう。
そして、自らの心に安らぎと潤いを与えましょう。

戦没者慰霊(秋季)
戦没者慰霊(秋季)  戦没者慰霊(秋季)

9月2日より7日まで、今年も戦没者供養に行って参りました。今回は今年の春、伺った東バリでいろんなお話を現地の方々にお聞きする中で、行きたくても時間の制約などからどうしても伺えなかった地域に行って参りました。
インドネシアは本当に沢山の島から一国が成り立っています。ですから人口数千万人の大きな島もあれば、小さな漁村しか存在しない島、無人島も沢山あります。第二次世界大戦終了後、この地域を再び植民地化しようとしたオランダに対し、建国と独立を目指して立ち上がった地元の住民とその行動を支援して命をかけてともに戦った日本人の方々にどうしても供養をしたかったのです。ですから、今回は小さな国内線の飛行機や船を使い、幾つかの島々に出向き、慰霊を行って来ました。

島によっては日本人がよほど珍しいのか、そうした視線を感じることもありました。また、英語すら通じない島もありました。飛行機のチケットがメモ用紙の様な紙きれに鉛筆で手書き、しかも“全席自由席”というのも初めての貴重な体験でしたが、共通していたのは日本人が慰霊に来た事を理解してくれた後は、皆、親しげに接してくれたことです。
御礼を要求する事もなく、我々が何か困っている様子に気がつくと、皆すぐに声をかけてくれました。この地域の方々の優しさを沢山頂きました。 一応目的の場所への訪問と供養を終えて空港のある少し大きな島に小舟で帰ろうとした時のことです。船の操縦をしてくれていた現地の若者が突然、「ウミガメを見たことがあるか?」と聞いてきました。「テレビや水族館ではあるよ。」と答えると、「じゃあ、海で泳いでいるウミガメは見たことはないんだね!」と言い、「この近くに“ウミガメの道”がある。調度そろそろウミガメたちが通る頃だから見に行こう!」といって、寄り道をすることになりました。
15分ほど出発した島沿いに進んだ後、船を留めると「ハイ、これをつけて。」と水中眼鏡とシュノーケルを渡されました。そして「ついて来て!」といって彼はいきなり海に飛び込みました。慌てて私も彼を追いかけて泳ぐこと2〜3分、今度は彼が急に潜り始めたので私も真似して海中を覗くと、その視線の先にはまるで空を飛ぶように左右の前ヒレを広げて優雅に泳ぐ大きなウミガメが通り過ぎて行きました。当に生まれて初めて見る光景でした。
水面に顔を出すと、傾きかけた日差しの中で水上の風景はまさにオレンジ色一色に染まっていました。この地域が、この先二度と戦いの場にならないことを心から願った瞬間でした。

施餓鬼法要
施餓鬼法要

8月22日の日曜日、記録的な残暑、というよりはまだまだ夏真っ盛りの陽気の中、沢山の檀信徒の皆様の御参詣を賜り、今年も施餓鬼法要が厳粛に営まれました。
宗信寺の本堂は冷暖房設備がありませんので、夏は暑く、冬は寒いという当に“御修行の場”です。長い法要の間、参詣された方々は皆、流れる汗をぬぐいながら一心に御供養されます。自分の事だけを考えていたら、とても勤まることではありません。本当に尊い行いだと思います。 ところで『無縁仏』という言葉があります。亡くなられた後、供養する方、守っていく方がいなくなってしまった亡き方を一般には『無縁仏』と呼ぶようです。
しかしながら、私にとりましてはとても寂しい響きを持った言葉に聞こえてなりません。たとえ亡くなられてから御親族や身寄りがいらっしゃらなくなったとしても、お寺との“仏縁”は存在するのです。この“仏縁”とは血縁に勝るとも劣らぬ強く揺るがないものであると私は理解しています。
宗信寺の施餓鬼法要では、お参りになられた皆様がこうした方々にも各家の御先祖様と同様に御供養して下さいます。本当にありがとい事です。

ふじみ園合同法要

8月3日、ふじみ園のホールにおきまして当園にゆかりある方々の合同法要が営まれました。
今回も沢山の入園者や職員の皆様と共に厳粛な雰囲気の中、供養が行われました。
入園者の皆さんはお体に障害があるなど、お一人での生活が困難な方々がほとんどです。つまりは日常生活では、五体満足の人に比べると、はるかに不自由な生活を強いられています。にもかかわらず、供養の席にはほとんどの入選者の方々が参列されています。
人の持つ優しさ、人を思いやる事の尊さを再認識させて頂きました。

境内清掃

8月1日、早朝よりお盆前の境内清掃が多くのお檀家有志の皆様によりまして行われました。
今年はこの春、総代役員の皆さんの改選があったため、新役員さんにとりましてはいわば初めてのお寺の行事となりました。前もって、色々お気づかいを頂きまして、当日も新役員さんは皆さんより一足早く集合して下さり、清掃の準備に取り掛かってくださいました。朝早くからありがとうございました。そして何より、猛暑の中、一生懸命に清掃作業を行ってくださいました皆様、本当にありがとうございました。
こうした機会にはいつも思う事がございます。それは宗信寺はお檀家の皆さんに大切にされているんだという事です。本当に感謝感謝です。心より御礼申し上げます。

白菊会合同慰霊法要

7月9日、東京都大田区にある東邦大学医学部第一解剖室におきまして献体者の会、白菊会の本年献体された皆様の合同法要が営まれました。
今年は46名の献体者の方々の供養が東邦大学医学部の教授、先生方と共に営まれました。
毎年思う事ですが、こうした尊い志をもった方々のおかげで、未来の医師たちは学ぶ機会を与えられているのです。この尊い御心をしっかりと受け止めて将来の医療の発展のために大いに活躍してほしいものです。
ところで、我々は日常どんな形で人のために役立っているでしょうか?また、役立つ事が出来るのでしょうか?身近なところでは家族に対して、そして日頃親しくお付き合いしている方々に対して、更には社会人として不特定多数の人々に対して・・・。考え出すとなかなかきりがありませんが、どのような場合でも共通している事は、今すべきこと、今出来ること、目の前にある自分の役割にしっかりと取り組んでいく事が大切だという事だと思います。私も心新たに1日1日を大切にしていきたいと思います。

戦没者慰霊(春季)
戦没者慰霊(春季)  戦没者慰霊(春季)

春のお彼岸を終えた3月29日から4月3日まで戦没者慰霊に出向いて参りました。
今回も前回同様、インドネシアのバリ島を中心に供養を行って来ました。意外と知られていない様ですが、バリ島は戦前より日本人が定住し、砂糖などの物産の貿易のため日本とは非常に交流の盛んな地域でした。
現在インドネシアとなっているこの地域はもともとは複数の王国が存在していましたが、18世紀頃より戦前までは永きに亘りオランダの植民地となっていました。そんな折、太平洋戦争がはじまり、旧日本帝国軍が他国に進軍していく中で今のインドネシア地域にも侵攻し、この地も1942年以降、1945年の終戦近くまで旧日本帝国軍の支配下となりました。この地域をそれまで植民地としていたオランダの軍隊も当然駐屯していたのですが、当時の日本軍は数日でオランダ軍を制圧したそうです。よってこの地にはオランダ兵の捕虜も沢山収容されていたようです。終戦後は再び植民地化を企てていたオランダと日本政府統治時代より教練を受けていた地元住民や、もともとインドネシアの独立を支援していた日本の元兵士などが一つとなった軍とが独立戦争を繰り広げました。この戦争で地元民に加わって戦った日本人は軍民合わせておよそ2000人、そしてその半分の約1000人の方が戦死したそうです。第二次世界大戦以降もこうした悲しい戦いの歴史の残る地域でもあるのです。
今回はこの地に代々定住しているバリニーズと呼ばれる地元の方々と若干ではありますが、時間を共有することが出来ましたので、その時のお話しを少しお伝えしたいと思います。

バリ島にはこの島独特の信仰があるそうです。バリヒンドゥーと呼ばれるそれは、ヒンドゥー教とインド仏教が融合された信仰です。ですから、バリニーズの方々の日常的な生活習慣の中には、大半が仏教徒である我々日本人がとても親しみを感じることが出来る点が多く見受けられます。例えば、挨拶をする時には必ず合掌してお時儀をします。御先祖様を非常に尊び、大切にしています。また、日本と同じく、多神教なので、御先祖様は無論、屋敷神様、土地の神様、水の神様、辻々の神々に至るまで毎日チャナンと呼ばれるお花や野菜で作られたお供物とお線香を供えることを重んじます。この習慣は日課として1日に3回、毎日2〜3時間もそのために費やされることも決して珍しく無いそうです。
信仰とは少しかけ離れますが、バリニーズの方々は親族同士や御近所付き合いをとても大切にしています。この地域にはバンジャールという地域組織が存在し、住民同士のつながりを維持形成する上でとても大切な役割を果たしています。ガムラン演奏団、舞踊団、合唱団などを通じ、幼い頃から隣人と触れ合い助け合うという心を身につけるのです。調度、村のある方が無くなられて荼毘所まで棺を運ぶ葬列にお遭いしたのですが、およそ200人以上の方々が亡き方を偲び、棺を守りながら葬列を組んでおられました。「特別な方の葬儀ですか?」とお聞きすると、ごくごく一般の御婦人ですという答えが返ってきました。日本でも明治時代、地方では昭和の初期位までは良く見られた光景かも知れません。しかし、今ではほとんど見かけることは無くなってしまいました。
また、日頃の生活の中でもお付き合いを重んじる姿勢が見受けられます。お向かいの家で何かめでたい事があれば家族中でお祝いし、お隣りで人手が必要とあらばやっぱりみんなでお手伝いをする。こうした持ちつ持たれつ、まさに困った時はお互い様という精神がバリニーズの方々の中には昔から自然かつごくごく当たり前に受け継がれて今に至っています。
この地域では農業の主たる作物は日本同様お米です。ライステラスと呼ばれる棚田が起伏のある地形をうまく活用しながらあちらこちらに存在しています。この風景は写真などでご覧になった事がある方もいらっしゃることでしょう。子供たちは最近の日本の子供たちとは違い、大勢で屋外で遊んでいます。小さな子供も大きな子供も一緒になって遊んでいます。調度、伺った時は凧上げに夢中になっている子供たちを多く見かけました。村の路地裏にも暗くなるまで子供たちの遊び声が響いていました。こうした、情景を拝見していて私は何かとても懐かしい思いがして来ました。無論、私が育ったのは日本ですが、田んぼ、凧揚げ、子供たちが大勢で駆け回る様子・・・。私にはもうなかなか見られなくなった日本の原風景の様に思えました。

ところで、私はこのようなバリニーズの方々の日常生活を拝見して、ある疑問を持ちました。それは、信仰や近所付き合いに毎日多くの時間を費やす生活は、はたして負担ではないのか、もっとストレートな表現をすると煩わしいと思うことはないのかという率直な疑問です。今回、調度地元紙のジャカルタ新聞の記者の方と知り合う事が出来たので、ある時その方に「バリニーズの方の生活スタイルは今の我々日本人にはとても真似出来そうにありません。本当に大変そうですね・・・」と話しかけると、私の真意を察したらしく「ここに面白いアンケート調査の結果があります。どうぞご覧ください。」といって今年の新年早々に発表されたバリニーズの方々の生活に関する意識調査の結果を見せて下さいました。その中で私が注目したのは日常の宗教活動、そしてバンジャール(地域コミュニティー)の活動に関する項目でした。結論から申し上げますと、この2つの点には複数の点で共通の認識がされていました。先ず、どちらともバリニーズの約6割の方々が「大変だ。」と認識されていました。しかし、注目すべきはそれらを継続している理由で9割以上の方々が「とても大切な事だから。」と回答していたことです。
日本は終戦後、急速な経済成長を遂げ現在に至っています。その過程において我々日本人の生活に対しての認識や様式もずいぶん変化してきたように思います。事実、日本でも戦前戦中頃までは、今以上に篤い信仰心を持たれていた方が多くいらっしゃいました。例えば空襲の最中、戦火に追われながらも身の周りのものよりも真っ先に御先祖様のお位牌を持って避難したという話を沢山お聞きしたことがあります。また、70代以上の年齢層の方々の中には、お経を覚えていらっしゃって、法要の時など一緒にお経をお読みになられる方が多いのも、小さい頃、親御様と一緒に毎日お仏壇に向かってお経をお読みになっていたからにほかなりません。子供の頃の記憶は年齢を重ねても色あせないのはどなたも認めるところですが、こうした方々が今もなお、お経を忘れないのもまさしくこうしたことの一例でしょう。
また日本にも昔は隣組がどこにもあって家々の、また地域の活動などを通じて互いの交流が日常的にありました。しかし、現在では隣人の名前すら知らないで日々を過ごしている日本人が多く存在しています。
こうしてみるとバリニーズの方々と日本人とつい何十年か前まではとても似た風習、価値観を持っていたことが分かりますが、現在では大きな隔たりがあります。この間、日本人の生活はとても文明的になり、便利になりました。まさしく先進国そのものです。方やバリニーズの方々の生活は未だに川で洗濯したり、エアコンや水洗トイレは無しと、単純比較はできませんが、おそらく日本の明治時代と大差ない部分も沢山あり、日本人から見ると明らかに不便に見えてしまいます。また、日本人はいつの頃からか、信仰に多くの時間を費やし、近所付き合いに手間をかけることに対してその認識が「大変だけど大切なこと」から「大切だけど煩わしいこと」に変化してしまったのではないでしょうか。結果、日本人は信仰や近所付き合いに費やしていた時間を自分を優先した時間として来ました。自分の自由になる時間が増えたわけですから、本来ならばその人自身、より充実するはずです。ところが、現状はいかがでしょうか。日本は経済大国であると同時に年間3万人以上の方が自殺してしまうという“自殺大国”にもなってしまいました。もし、現代を生きる日本人に今の生活の充実の度合いを問うたとしたならば、果たしてどれほどの方が「充実している、満足している」と答えられるでしょうか?私はその様な羨望の回答の出来る人はほんのごくわずかだと思います。
無論、バリニーズの方々も先進国の便利な生活は知っていますし、羨ましく思う人たちもいらっしゃることでしょう。事実、バリ島には海外資本の高級リゾートホテルがたくさん存在し、そのホテルに勤務している人も沢山いらっしゃるのです。でも、だからと言って今の生活様式を変えてまで、そうした先進国並みの生活を手に入れようとはしないのです。
バリニーズの方々の居住地域には玄関にカギをかけるという習慣がありません。何故なら、御近所皆、付き合いがあるわけでカギなどかける必要がないそうです。事実、この地域の犯罪発生率は驚くほど低いとお聞きしました。当然自殺する方もほとんどいないそうです。
ジャカルタ新聞の方に見せて頂いたアンケートの最後に「今の生活の満足度」を訪ねる項目がありました。
そこには「大変満足している」という答えが9割を超える調査結果がありました。日本の経済成長に伴い、私たちの生活はあらゆる面で、“合理化”を追求してきた様な気がします。出来るだけ早く、手間をかけず、成果の即答性を期待する・・・。そんな時代を積み重ねてきた結果が、ある意味今の日本社会です。いつしか日本人の中には面倒な事、手間のかかる事は後回しにしてしまいがちな風潮が備わってしまいました。しかし、バリニーズの方々の生活をそしてその価値観を拝見していると、面倒な事、手間のかかる事の中にも大切なこと、今やるべき事、継続すべき大切な事も沢山あると言う事に気づかされます。

皆さん、ご自身の日常生活を振り返ってみてはいかがでしょう。一見、面倒な事、後回しにしている事の中に実はとても大切なことを見つけられるかも知れませんね。

春のお彼岸

今年は3月18日から24日までの1週間が春のお彼岸です。お中日は21日の春分の日です。
春は春分の日、秋は秋分の日をお中日としてその前後3日間ずつ計1週間がお彼岸だと覚えておくとわかりやすいですね。
ところでお彼岸は意外や意外、他の仏教国では見られない、つまりは日本独自の仏事なのです。その語源はインドの古い言語である梵語(サンスクリット語)の波羅蜜多の漢訳、到彼岸であると言われています。
彼岸という言葉の意味はかの岸、つまり霊界、仏様の世界を意味しています。
彼岸に対してこの世、つまり我々が日々暮らしている世界は此岸と言います。お彼岸はつまりはこの世からあの世に供養しようということになるわけです。

ではなぜ日本独自の仏事として成立したのでしょうか?
その答えは日本古来の土着の信仰にあると考えられます。日本には仏教が伝来する以前から自然を育む太陽と自分たちを守る祖先や神への土着の信仰がありました。
更に農耕民族であった我々の祖先には、こうした太陽や祖先や神に、春は豊穣を祈り、秋には収穫を感謝する習慣があったため、こうしたことが伝来してきた仏教と融合して今のお彼岸の始まりとなったのです。
ではなぜこの時期かということですが、皆さん、春分の日・秋分の日とはいったいどんな日でしょう?
そう!昼と夜の長さが等しいとされる日ですね。
昔の人は目に見える世界、つまりは昼をこの世の世界、此岸と考え、目に見えない世界、つまりは夜を仏様の世界、彼岸と位置付けたのです。そして昼と夜の時間が等しくなるとされる春分の日、そして秋分の日が最も人間の世界と仏様の世界が近くなると考えて、このそれぞれの時期に御先祖様の供養をするようになったというわけです。

ちなみに文献によりますと、古くは大同元(806)年、平城天皇が霊を鎮めるために彼岸供養を行ったという記録が確認されています。
ところで、このお彼岸には御先祖様にぼた餅やおはぎをお供えするという習慣が全国各地にみられるのですが、春はぼた餅、秋はおはぎが正式だそうです。この点はその名前を見ると明らかです。
ぼた餅は→牡丹餅・・牡丹は春の花、おはぎは→御萩・・秋の花  日本語は奥深いですね。

全国行脚

今年も3月1日から12日までの平日を使って福岡・大阪・京都・名古屋・東京・仙台の各都市にあるおよそ20校ほどの専門学校の御祈祷が行われます。
各校にはそれぞれ音楽・芸能・アニメ・デザイン・医療・飲食・動物・環境など様々な修学コースがあるのですが、在校生の熱意、そして卒業生の活躍には目を見張るものがあります。

ほんの一例ですが、3年ほど前には在校生がイタリアのフェラーリ本社のデザインコンペで、最優秀賞を含む複数の賞を受賞したり、世界フィギヤスケート日本大会のロゴマークが在校生の作品であったり、ミヒマルGTやTMレボリューション等も卒業生だそうです。
ちなみに宗信寺の番犬ボーディーも大阪校の先生の紹介で、調教訓練は東京校の卒業生のドッグトレーナーの方に担当して頂いたので、とても健康かつお利口です(笑)。

今年も新入生を迎える直前のこの時期に、各校の繁栄と学生の皆さんの学業成就を叶えるべく、全力で御祈祷させて頂きます。

立春

2月4日、立春を迎えました。
今年は年明けから本当に寒い日が続いていますね。ここ数年、地球温暖化という問題が大きく取り上げられています。
確かに日本に暮らしていて、私が少年だったころの春夏秋冬と比べても変化が感じられます。
昔は春と秋とが今よりはもっとしっかりとあった気がします。ところが最近は冬の寒さが終わったと思ったら、すぐに初夏の陽気に、そして残暑が終わったかと思うとすぐに木枯らしの吹くころの陽気になってしまっている気がするのです。
“温暖化”と聞けば「冬も温かくなるのかな?」と思いきや、寒い冬とは皮肉なものです。

ところで、昨年この『宗信寺かわら版』で旧暦の暦を使って1年の運気のお話をしたところ、大変好評でしたので、今年もこの時期に本年のこの先のお話をしてみたいと思います。
本年は、八白土星庚寅年です。九星学では八白土星、十干では庚(かのえ)、干支では寅となります。
九星学、十干、干支はそれぞれ違った尺度を持ちますが、それぞれの測り方を用いて本年平成22年という年を見てみると、より具体的に予測ができるのです。

それでは3つの異なる視点から本年がどのように見えているのか、詳しくお話したいと思います。
まず、八白土星の象意は、物事の終わりと始まり・変化・復活・新旧・完了・開始・再起等です。
次に、庚の象意は、どうにもならないことをどうにかしようとする力・支え・あがき・混乱・頑固、そして、寅の象意は、修正・手直しが進む・演技・頑固・言うことを聞かない、などとなります。
上記の様々な象意を基に本年のこれからを考えていきたいと思います。

現在の世相は、リーマンショック以来続く深刻な経済不況の中、加えて国民の期待を背負って昨年政権交代を果たし与党となった民主党政権に対して高まる不信感、国民は明るいニュースから遠ざかった日々を余儀なくされています。
こうした世相は庚の象意からすると、しばらくは継続してしまうと見て取れます。
しかしながら八白土星の象意、そして寅の象意を合わせていくと、現在の現状、実情による苦労や困難はもうしばらくは避けられないものの、そうした現実に苦しみもがく中にも、こうした世相に終止符を打ち、新たなる時代への出発をしようとする内なる力が蓄積され、何らかの動きが表に出てくる、つまり時代が変化するその第一歩を踏み出す年となるでしょう。
すなわち、昨年の『静』の年から、『動』の年への変化の年となると見ることが出来ます。
確かに今の世の中は、先が見えないという不安感から、あらゆる面で自粛、縮小、消極、沈滞といったような認識で物事に対処してしまうことがほとんどです。
無論、大きな不安を抱えているわけですから、安全にリスクを極力負わずにといった思考になるのは無理もありません。
しかしながら内心は皆、こうした現状にうんざりとしているというのが本音ではないでしょうか。無茶をするのは論外ですが、必要以上に消極的になってしまうのもいかがかと思います。

こんな時だからこそ積極的に取り組むべきことは取り組み、行動すべきは実行するといった心掛けが現状を変えていく底力になるはずです。
今、カナダのバンクーバーでは冬季オリンピックが開催されていますが、日の丸を背負って全力で競技に挑む日本人選手を見ていると気がつけば、心から一心不乱に応援し、その結果に一喜一憂し、目頭を熱くする自分に気がつきます。この時、頭の中には後ろ向きの思考など微塵も存在しないですよね。
そして私たちは結果がどうであれ、果敢に挑んだ選手たちに勇気をもらうのです。“自分たちも弱音ばかりはいていられない”と・・・。

人の行動はその人の心の状態で大きく左右されるものです。ならば、冷静かつ前向きな心をいつも備えていたいものですね。

新春初祈祷会

1月10日、宗信寺の年頭初めての年中行事である新春初祈祷会が行われました。

今年も真冬の寒さ厳しき中、約140人ほどの檀信徒の皆様の御参詣を頂き、新年の引き締まった雰囲気の中にも大変賑やかな祈祷会となりました。
午前9時の水行で始まりますので、ご参加された皆様は早朝より仕度をされ、御参詣下さったわけです。心より御礼申し上げます。近隣の皆様はもとより、京浜地区からも沢山の皆様がお越しくださいました。本当に御苦労さまでした。

ところで、当日御祈祷も済み祈願札もお渡しして調度一段落し、皆様と一緒に総代役員さんが用意してくれた甘酒を頂いていた時に、あるお檀家の御主人から「55杯でしたね!」と声をかけられました。
一瞬何のことかと思ったのですが、実は水行の時、私が何杯の水をかぶるのか一生懸命数えて下さったそうです。
私自身、いつも数えているわけではないので「そんなにかぶってましたか!」と思わずそんな返事をしました。
お参りくださった皆様に変わり水行でその身を清めると考えると、その数が多いのか少ないのかはわかりませんが、水行中一心に手を合わせて見守ってくださっている皆様の気持ちに、そして心に多少なりとも何か良い影響をお伝えできれば幸いです。

荒行堂初詣

1月9日、今年も全国各地から御参集頂いたおよそ50名の檀信徒の皆様と共に、千葉県市川市にある大本山法華経寺の大荒行堂に初詣に行きました。
東京・神奈川・千葉はもとより、群馬・大阪・奈良・兵庫と御遠方からも沢山の皆様がお越し頂いての初詣となりました。
例年より厳しい寒さの中、今年の荒行にも多くの修行僧の皆さんが苦修練行を重ねていらっしゃいました。
11月1日から翌年2月10日の成満(修行が終了すること)までの寒百日間行われるのが日蓮宗の大荒行です。

正月元旦
正月元旦

平成22年1月元旦、宗信寺の新年は午前零時からの水行で始まりました。
深々と冷え込む中、近隣の檀信徒の皆様の御参詣を頂き、厳粛に水行と御祈祷が行われました。
さて、水行に臨む時、そしてその最中は無論基本的には無心なのですが、不思議と何かが伝わってくることがあります。
言葉で上手に説明するのはなかなか難しいのですが、例えて表現するならば
土に水がゆっくりと自然にしみ込んでいくような感じで伝わってくるのです。
今年の水行中は“落ち着き”という言葉が伝わってきました。
いろんな解釈が出来るのかも知れませんが、『しっかりと地に足をつけて、慌てることなく、冷静に、確実に歩む』という意味に感じられました。
一昨年の世界同時不況以来、特に日本国内には明るい話題がありません。こんな時はどうしても元気をなくしたり、うつむいてしまったりしてしまうものですが、先ずは自分自身がしっかりとした心を具えることが肝心であるということなのかも知れませんね。